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形而上学とは_ver6

更新日:2024年6月15日

 私がこのHPを立ち上げようと考えた背景は、


 この「形而上学」という勉強を、友人や大切な人に、誤解のないように、分かりやすく伝える方法はないか・・・


 と悩み、とにかくやってみないと分からないことも多く、試行錯誤を繰り返し、今に至ります。未だに、三歩進んで二歩下がるような歩みの中ですが、最近ひょんなことから書き物のプロと出会い、「形而上学とは」という草稿を練り上げています。


 先生にも見て頂きましたが、非常に良いとのお言葉を頂きました。では、下記よりお楽しみください。



 


新しい分野の学び(形而上学)





はじめに


 形而上学というと、学校の授業で聞いたことがある、という程度の知識の方もいれば、今まで全く聞いたこともないという方もいらっしゃるでしょう。


 ところが、難しい言葉のイメージであったり、聞いたこともない言葉であったりするため、私たちがおすすめしても、敬遠されることが多々ありました。


 そこで、初めて出会う方々にも、理解しやすい説明を目指しました。


まず、形而上学とは


「形而上」の定義を辞書で調べると、以下のように書かれています。  

 

❝【形而上(けいじじょう)】(【形而上の英語訳】は「メタフィジックス」)

• 形を持たないもの

• 哲学において、時間や空間の制約を超えた経験によっては認識できないもの。超自然で非物質的なもの。❝ ※出典: デジタル大辞泉(小学館)

 

「形而上」とは「けいじじょう」と読まれます。


 その意味は、「形のないもの、形を超えたもの」です。具体的には、「人の気持ちや心」などのような「形のないもの」をさし、一方で「神様」や「ほとけ様」などの「形を超えたもの」を表します。

 

 また、「形而上」という語は外来語で、明治時代にヨーロッパの哲学が日本にはいってきました。


 その時、学者の井上哲二郎氏が「metaphysics(メタフィシス)」「physics(フィシス)」という概念を日本の人々に紹介するのに、中国の古典である「易経」の用語を取り入れ、「metaphysics(メタフィシス)」を「形而上学」と訳しました。


 「形而上学」が、「目に見えない本質を追求する学問」をさすのは、ここから始まります。

もともと「形而上学」という学問は、古代ギリシャの哲学者である「アリストテレス」の思想を継承して編さんしたことで広まりました。


 こんな背景から、現在「形而上学」というと、アリストテレスの「形而上学」を思い起こされるでしょう。


「生活に密着したお茶の間の学問、形而上学」


 その後、産業革命による科学の発達や、マルクスの唯物主義の流行により、「神」を語るとオカルトのイメージがあったり、現実離れしたイメージを抱かせたりと、「形而上学」はすっかり息をひそめるようになりました。そんな中、「形而上学」に新しい息吹(いぶき)を吹き込まれた方が日本に現れました。


 その方の「形而上学」の定義は、「日々、日常で起こる問題には意味があり、その意味を知り、人生を豊かにしていく学問」でした。


 単なる学問ではなく、生活の中で役立つ、生きた学問という位置づけを「形而上学」に与えました。


 私たちは、「形而上学」を「日常生活と何の関係もない難しい学問」ではなく、「生活に密着したお茶の間の学問」としてとらえ、「地に足が付いた学び」として受け止めています。


 私たちは、たとえば、「朝に夫婦げんかをして運転すると、なぜ事故が多いのか?」とか、「遺産相続でもめると親族に不幸が起こるのはなぜか?」など、今まで経験則的に教訓とされて来たり、ことわざになっていたりするものは、実は「深い意味があり、根拠があるのだ」ということを勉強しています。


 目からうろこの世界観に、今は忘れてしまった子供の頃の「なぜ?どうして?」がよみがえります。


 色あせてしまった日常が、急に輝きはじめ、新しい人生が自分の中で始まるような、ワクワク感やドキドキ感があります。


「何故このような事が起こるのか?」


 これから「何故このような事が起こるのか?」という原理を、簡単に説明します。今は慣れない言葉が出て来てもスルーしてもらって構いません。


 出来事は、「目に見えない世界(形而上)」と「目に見える世界(形而下)」の二つが影響しあっており、現実の出来事(形而下の現象)が、目に見えない世界(形而上)からの影響を大きく受けている事を、図1で説明します。


 図1は、経済的・肉体的・人間関係的に問題だらけの状態から、7年目に、すべてが改善されたAさんの例です。

図1


 まず、現実に起こっている「形而上的な意味」を知ります。今までは、特殊な能力を持った人に頼るしかありませんでしたが、私たちは、いつでも、どこでも、誰でも、知りたいときに知ることが出来ます。


 また、知る方法には、「ご神示」と「絵姿」の2種類があり、「ご神示」は行動判断の可否に使い、「絵姿」はより細かく理解する為に使う、とだけ今は覚えておいてください。


 「重症筋無力症」という難病のAさんの場合、治療法が確立されておらず、指定難病であるため、検査入院を経て、難病認定を受け、治療法が確立されるのを待つ、というのが現実でした。


 しかし、Aさんの「絵姿」は、「親族関係に問題あり」となりました。(実際の絵姿の内容は掲載しておりません)


 聞いてみれば、Aさんは、遺産相続で親族と兄弟との両方で争われ、お金の問題を抱えていました。お金の争いが病気の原因になっているのかも知れないとAさんは思われ、考え方を改め始めると、不思議なことにすべてが改善し始めました。


 つまり、Aさんは体の病気ではなく、「お金に対する考え方」が悪かったのです。このように、形而下的には打つ手なしの難病でも、解決の道筋が見えてきます。


まとめ


 Aさんはその後、医療行為とは全く違うアプローチで、日常生活の人生観や考え方などを変える努力をすることで、病気の症状も改善し、人生そのものが、図1のように変化して行きました。


 いかがでしょう。


 今まで、「目に見えない世界」に対する私たちのアプローチは、「祈る、願う」、だけでした。


 しかし、この勉強が、「生きた学問」と言われるのは、具体的な手立てが示され、奇跡で終わらず、その教訓が、子々孫々につないでいけるものだからです。


 私たちは、この「形而上学」の始祖のお言葉をはじめ、うけた教えを学びつつ、その内容を皆様にも、ご紹介させて頂いています。少しでも、「新しい形而上学」のエッセンスをお伝え出来ましたら、無上の喜びです。


 

プリントしてお渡ししたい方の為に、下記から資料もダウンロードが可能です。


※【注意】

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