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教え中心の和合_勉強会レジメ

更新日:2023年11月24日

勉強会レジメの復習



各地の勉強会のレジメにもなっておりました、「教え中心の和合」に付いて、上記の図のようにまとめてみました。


和合は、和合の対象によっても方法や悟り方も違ってきます。

そうした対象や背景による違いを無視した拡大解釈は、逆に逆効果であろうし、歪の基となるのではないかと、私は考えています。和合の対象による違いは、レジメによると左記の図のように分類されます。それぞれの対象による背景と状況により、判断されることが望まれていると考えています。


このレジメが題材になった勉強会で、「教え中心の和合」に付いての具体的な質問が出た勉強会はなかった気がしています。「何故、今、こうしたレジメが題材になっているのか?」に付いては、私も知る由もないのですが、何の理由もなく、こうしたテーマになることもないので、必要なことなのだろうと理解しております。





和合ずれも法則!


最近、勉強会での絵姿依頼の質問を注意深く聞いていたら、和合(人間関係)に付いても質問が、実に多いことに気が付きました。


皆さんのコミュニケーションのお悩みは、それぞれカテゴリーがあるようで、上記の和合の対象図にあるように、各人のテーマとなる対象があるように思えて来ました。


そんなことを思いながら話す内容をお聞きしていると、やはりお役目というか、その方の使命役割と言うものが背景にあるような気がして参りました。


とすると、「単に仲良くしなさい!」と言う話ではなく、「それで自分は何を学ぶのか?」という神の目的や意図を理解して、自らのテーマや役割に向かって行く必要があるような気がしています。

人によって、気になるところや視点が違うのは、きっとその方の現在のテーマや役割がそこにあるからではないか?と最近は考えるようになりました。

そのように考えると、皆同じように考える必要もなく、考え方や視点が違って当たり前で、勉強の理解が浅い、深いではなく、その方に必要な道をその方が歩いているだけの話で、必要な事なのだと思えて来ました。

勉強仲間とは言え、あれこれと人様の勉強態度や理解の仕方にケチをつけるばかりが勉強ではないな、と最近は思うのです。



事実、私のテーマも「教え中心の和合」でした。


私の場合は、「和合しなければいけないのだけれど和合できない!」という悩みではありませんでした。そもそも「何故和合しなければならないの?」であり、「和合ずれが起きる理由は何故?」でした。


なぜなら、和合ズレも法則ですし、遠心力も法則です。皆が皆、中心に向かう訳でもなく、離れ行く人もおります。


家族や親族のように血の繋がりがあるのならまだしも、血の繋がりもない関係性では、親族同様の和合自体無理な話です。


こうした事もあって、最近私は、この教えを拡大解釈して、なんにでも当てはめるのは如何なものかと考えるようになりました。


すべてに、個別の背景と状況があり、「この教えで言うとこうなる!」という「答えが存在する!」とか、「答えが存在するはずだ!」という考え方の方が、視野が狭いと考えるのが妥当ではないか、と考えるようになりました。


そして、レジメにあったように、やはり「和合ずれの原因」は、「他者を認めないこと」や「他者を批判する事」ではないかと思います。

もっと言えば、「そうすることで、他者に恥をかかせることが原因で和合ずれが起こる」と考えています。


こうした感情を相手に与えたら、昔なら命の危険に直結する一大事でした。現代は、命は法律が守る世界ではありますが、他者に「恥をかかせる」ことはご法度です。このことは、現代に生きる我々も、もう一度再考する必要があると、私は考えます。




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